農的ジプシー

農的ジプシー生活のあれこれ

パンチャ・ヌーダ

マチェは一人息子。

本名はマルチェッロといって、

今われわれがお世話になっている、アレとフェデリコの息子だ。

もうすぐ3歳になる。

 

ずんぐりした体型で目がクリクリしていて可愛いのだが、

病的に偏食で、トマトとチーズでできている。

食べた後にすぐ吐くことも多いので本当に病気かもしれない。

 

両親とイタリアンマンマのおばあちゃんティーナに囲まれた暮らしなので、

甘やかされ、わがままですごく気分屋でもある。

いつもかん高い声でなにか叫んでいる。するとみんなが構ってくれるのである。

もちろん機嫌がいい時も叫ぶ。

石づくりのこの家にはいつも彼の叫びがこだましている。

 

でも彼にとって不幸なことに、常に3人と水いらずで居られるわけではない。

 

この家庭はWWOOFの受け入れホストであり、

常に世界中から滞在者が来るのである。

 

今回は遠い日本から見知らぬ二人がやって来た。

イタリア語すらしゃべられないアジア人である。

 

最初はわれわれとまったく関わろうとしなかった。

というか存在を無視されていた。こんなに可愛くない子供もいるんだという感じ。

食事の時は僕の向かい側に座るのだけれど、ほぼ目も合わない。

 

昨日で滞在1週間が過ぎたのだけど、ここでようやくチャングが彼に興味を持たれた。

最初はスリッパをとられ、「捕まえてみろ、このモンスター」と言われたのだった。

その後、追いかけっこの末、咳き込みはじめて、吐いた。

彼と関わるのは難しい。

 

 

そして今夜もなかなかご機嫌。

満腹の腹を「パンチャ・ヌーダ(裸の腹)」と自慢げに見せてくれた。

 

そしてその裸の腹を出しながらこけてた。

 

なんかダメな、でも憎めない奴なのだ。

ロンドン観光 ピエール・ボナー展

3月8日 金曜

 

この日から4日間のロンドン観光。

 

オンタイムでは我々ふたりは、イタリアのプーリア地方にいる。

ここ何日かは怒涛のように日記的ブログをあげてきたが、ちょっと趣向を変えよう。

 

サンフィールドでの日々は我々の将来に関係してくるかもしれないので、記録をとっておくという意味で毎日の出来事を詳細に記した。

でもロンドン観光は楽しむだけであるし、情報も感想もネット上にあふれているので

事細かに書くのはやめる。

純粋に現在までも心に残っていることだけをつれづれ書いてゆこう。

 

 

僕は観光地を見るのがあまり好きではない。

人混みが好きではないし、観光客のためにつくられたようなシーンをみると興ざめしてしまう。

ひねくれているからだ。

純粋にものごとを楽しめればどんなに楽かと思うが仕方ない。

 

一方でチャングはミーハーな部分があり、全面的に何かを楽しむことができる。

観光向きのタイプのひとなのだ。

 

彼女と行動すると、疲れることもあるが、楽しいことも多い。

街歩きはシティーガールとするに限るということを最近知った。

 

さて、ロンドンの国立ミュージアムは無料だ。

そのかわり、私設のミュージアムはバカ高い。

行こうと思っていた交通博物館なんて18£、3000円もしたのでやめた。

 

結局今回のロンドン滞在で入場料を払って入ったのは、1つだけで、

テートモダンで催されていた、フランス人画家Pierre Bonvardの特別展だった。

知ってて行ったわけではなく、そこで偶然見かけたポスターの色遣いが美しかったので入って見る気になったのだ。

長く美術を学んできて、デザイナーとしても働いていたチャングが心を動かされていたので相当良さそうだ。

僕は彼女の芸術的センス、美的センスは全面的に信頼している。

そういう訳で入ってみた。

 

ちなみにテートモダンは、元発電所を改装してつくられた大きなミュージアムで、

常設の展示は無料、しかも屋上の展望テラスにも無料で入れるのだ。

テムズ川を挟んでむかいにはセント・ポール大聖堂が望めるという好立地。

 

 

絵は美しかった。

テーマとしては、浴室の女性や南フランスの風景が多い。

自宅の窓から外が見えるような絵も多かった。

 

多彩な色合いの素晴らしさ。

時がながれてゆく空気感が伝わって来る。

 

僕はこういう絵を見ると、画家には世界がどんな色合いをもって見えているのだろうかと思ってしまう。

僕が仮に高度な画力を持ち、おんなじ情景を見たとしても、こういう表現には絶対にならないのだ。見える世界そのものが違う。

なにか、描かずにはいられないようなすごい衝動が湧いて来るような見え方をしているのだろう。

 

素晴らしく鋭敏な視覚をもつ人間のフィルターで切り取られた世界。

これを見れるのが絵を見る醍醐味でもある。

 

このタイミングでこの展示が見れてよかった。

 

そして絵心をつつかれた我々はこの後、少しづつ旅のスケッチを試みるようになる。

 

 

 

サンフィールド最終日 ロンドンへ

3月7日 木曜

 

朝食はオーツクッキーとフルーツ。

 

今日はAirbnbをチェックアウトする日。

4日間はあっという間だった。

 

ジェラディーンのマシンガントークを聞く。

これから行くロンドンのおすすめや、古き良きギリシャの話。

彼らはむかしロンドンに住んでいたのだ。

 

エドが迎えに来る時間の少し前に二人に挨拶を済ませる。

 

お土産の和紙折り紙を渡すと喜んでくれた。いいホストだったな。

ビルとジェラディーン。

これまでAirbnbを何度も利用したが、いい出会いがたくさんあった。

また思い出の人たちが増えた。

 

 

サンフィールドでまず木曜日定例のグループスタディに参加した。

シュタイナーの「治療教育」の読書会で、

オイリュトミスト、カラーライトセラピスト、アウトドアインストラクターといった顔ぶれ。

内容はよくわからなかったが、教育に携わる人々の勉強会は刺激的だった。

 

今日の作業は、ウッドチップをヤギ小屋の外に敷くこと。

小屋の入り口やえさ場周りが泥でぐちょぐちょだったため。

もともと乾燥地帯原産のヤギは足が濡れることを嫌うのだ。

 

その後、もし僕たちが正式に働くときに住む部屋を案内してもらった。

 

昼ごはんは、マトンとポテトのパイ。

エドと最後の食事だった。

チャングが今回感じたことやこれからの展望についてエドに話した。

こういうのは彼女がうまい。

 

ビザがいつとれるのかわからない状況が不安であるが、

今回の訪問でエドがどういう人なのか分かった。

彼がとても忙しいことや、

全てはじめての試みなので本当に状況がだれにも掴めないということもわかった。

 

こういうことを話した。

 

縁があればまた来るかもしれない。

 

良い感じで話を終えられた。

 

 

さて話したせいもあり、Hagley駅に送ってもらったのは14時。

電車の時間ぎりぎりだった。

バーミンガム行きの切符を2枚買い、反対側のホームへ渡ると同時に電車が入って来た。

あとはロンドン観光を楽しむだけだ。

 

バーミンガムでMoor street駅からNew Street駅に歩き、

ロンドンEuston行き電車に乗った。

メールの予約画面のQRコードで改札を通れるというハイテクイギリス。

 

ロンドン地下鉄Euston Square駅からは、Hammer Smith&City線でEast Hamという駅へ。ここがホテルの最寄り駅だ。

 

駅を出ると移民街のど真ん中だった。

 

通りはイスラム系やインド系の人々であふれている。

店のショーウィンドウがひびだらけだったりしてあんまり治安はよくなさそう。

 

まあ数日前に値段だけで選んだ宿の立地としてはしかたない。

 

10分ほど通り沿いを歩いてホテルの住所に来たが、それらしきのはない。

裏の住人に聞いてみるとやはり表の建物だという。

これまでに何回も訊かれたのだろうか、またかという雰囲気。

 

通りに戻ると、あるアルミサッシのドアのすりガラス越しに「154A」の文字を発見した。

ここだ。が雰囲気はふつうの住居でドアには鍵がかかっていた。

インターホンなどもなくて困ってしまった。

 

WIFIのある場所でホテルに連絡してみようか、

最悪ほかの宿を予約するしかないか

などと5分ほどそこで思案していると、男が寄って来て声をかけた。

インド系の男だ。

 

その男が宿のスタッフであった。

「寒いだろう、なぜ連絡しないんだ」

いや普通の外国人旅行者は連絡手段をもってないことの方が多いと思うが。

 

とりあえず部屋に入ることができた。

キッチン、洗濯機つきの広い部屋で、バス、トイレは共用だがのんびりできそう。

 

ホッとしたのもつかの間、

今度はカードが使えないので、現金を下ろして来いという。

ちょうど目の前にATMがあったので、200£下ろして支払った。

 

一連の流れはすごく怪しかったが、この場合は相手を信用するしかなかった。

時と場合によるが、移民街などに安宿をとるのは危険かもしれない。

 

僕は安旅に慣れしまっていて、そういうフィルターをかけることを軽視していたが、

以後はもう少し気をつけようかなと思った。

 

この晩は、久々のビールとケバブで乾杯した。

サンフィールド3日目 羊の毛刈り

3月6日 水曜

 

 

朝食はゆうべの残りのスープとパン。

 

 

8:20にエドが迎えに来た。

 

まずきこりに話をしに林を歩く。

 

ここサンフィールドはゆるやかな斜面の下側に畑があり、

牧草地を挟んで上の方は林になっている。

歩きながらエドが森について色々話をしてくれた。

 

この土地を形成する3つの地層のこと、

1世紀以上前に英国が世界中から集めた珍しい木々のこと、

学校の木々は4年ごとに診断を受け、弱ったものは切り倒されること、

でも虫や鳥のために完全には切り倒さない木もあること

 

雨が降ったり止んだりしていたので、その後はヤギ小屋で作業。

もともとここにあった鉄柵を羊小屋をつくるために移動したので、

木の柵の隙間からヤギが逃げ出さないようにワイヤーを張るのだ。

 

 

昼食は豆カレーだった。インドでダールと呼ばれるものに近くおいしかった。

イギリスはインドを植民地としていたため、カレー料理の質は高いらしい。

ここの学校食堂の料理は総じておいしかった。

 

イギリスというと「食事がまずい」という評判があるが、

エドは、それは産業革命以後のことだと言っていた。

「どこの地方にも家庭料理があって、それは当たり前だけどおいしいものだよ。ただ18世紀以後、産業革命で人々が都市に集まり、大量に作られたおんなじものを食べるようになった。食が土地から離れてしまったんだ」

 

 

午後は羊を牧場から小屋へ移した。出産にむけて。

羊は臆病なのでトレイラーに入れるのが大変だった。

 

僕とチャングで牧場の上の方から、5匹の羊をゆっくりと追ってゆく。

下ではエドが餌のオーツ麦を持って待ち構えていて、

ゆっくりとトレイラーの方へ誘導していくのだ。

 

でも少しでも彼女らを驚かせたり、警戒させたりしてしまうと、

散り散りになってやり直しである。

 

僕は手を叩くという間違いを犯してしまい、驚かせてしまった。

最近ヤギの世話をすることが多かったので、それと同じ感覚だったのだが、

ヤギと羊は性質がまったく違う。

ヤギは好奇心が強くて御し易いが、羊はとにかく驚かせてはいけないのだ。

 

昔は動物に触れ合う機会が少なかったので、性格の大した違いなど知らなかったが全く違う。

馬と牛も。ヤギと羊も。

 

さてどうにか羊の移動に成功したので、次は汚くなったお尻の毛刈りをやった。

やったと言っても実際にハサミを持って刈ったのはエドで、僕とチャングは抑える係だ。これがまた大変。

お尻は臭いし、羊の力は強い。

懸命に逃げようとする彼女らを1匹1匹捕まえては抑えたので、

僕らもすごい臭いになってしまった。

 

毛刈りはshearingというが、この名人は1日に何百頭もやるというのだから恐れ入る。

とにかく大変だった。

 

夕食は人参チャーハンと日本から持って来たインスタントスープ。

 

 エドが前の日、ディナーに招待してくれるようなことを言っていたが、なかった。

なんかイギリス人の社交辞令のような感じもして、チャングは彼への不信感が募っていたよう。

とにかく明日がサンフィールド最終日だ。

サンフィールド 2日目

3月5日 火曜

 

8時にエドが迎えに来た。

 

着いてまず、クニクニ豚の餌やり。

 

オス2頭とおかあさん豚2頭で、子豚たちはつくりもののように可愛い。

可愛いというか、ぬいぐるみのような、異世界の動物の感。

この子たちがクニクニになるなんて信じられない。

 

餌はオーツ麦を水に浸けておいたものを、オスは一頭500g、メスは900gやる。

メスが多いのはもちろん子供達にお乳をあげているからだ。

 

食べているときの豚の姿は貪欲で醜いものである。音も汚い。

なぜ世界中で豚が「意地汚い」の形容に使われるか分かる。

 

まあ醜いなんていうのは社会文化をもった人間の主観であって、

動物が本能に忠実なのは自然な姿だ。

わかってはいるが、でもやっぱり不快感は拭えない。

 

その後、上の牧場の羊にも干し草をやりに行く。

羊は5匹いて、すべて妊娠していて出産間近。

カールした毛がおしゃれで、顔立ちをみると黒人女性を彷彿させる。

 

でもおしりは異常に汚くて、

毛に泥や糞が長い間こびりついたので真っ黒。

のちにこれを我々は刈ることになるのだが、この時は思いもしなかった。

 

午前中のメインの作業はスコップで畑の畝作りだった。

畝間の土を水平に削りとり、畝を盛っていく。

 

これがなかなか骨が折れる。

エドは左手を逆手に柄を持ち、軽くやってみせたが、

なにか軍隊の塹壕掘りを思い起こさせた。

農作業に慣れている僕でも大変なのだから、シティーガールのチャングはなおさらである。

 

ティーブレイクをはさみ、昼食まで続けた。

昼食はピザとクスクス。忙しいエドと常に一緒にいなければならないので、

休憩時間は長くはとれない。

 

午後はリチャードという人物にサンフィールドを案内してもらった。

ゆったりと我々の話に耳を傾けてくれるが、どこか曲者の感がある。

 

見せてもらった図書館には、シュタイナー関連の本や写真がずらり。

サンフィールドは昔はなかなかコアなシュタイナー運動の場だったようだ。

 

 

午後の最後はデーブと一緒にコンポストの処理。

学校の食堂から出る生ゴミを機械で堆肥にする。

 

横向きのドラム缶のような機械に左上の穴から生ゴミをいれて、

ハンドルをぐるぐる回す。

 

すると右下から前に入れたゴミが発酵した堆肥となってでてくる仕組み。

 

酸っぱい臭いがあたりに充満し、鼻腔にこびりつく。

 

出て来た堆肥を次のボックスにいれてさらに発酵させる。

 このボックスの堆肥はもう分解されてしまっていて臭くない。

 

家に帰っても服から臭いがしみ出てくるような気がした。

でも食べ物ゴミが出ず、次の食べ物をつくるための糧となるのは気持ち良い。

 

明日から数日の休みに入るデーブに別れを告げ、帰宅した。

 

夕食は野菜を刻んだスープとパン。

スープには昨日煮ておいた芋をいれたので、とろみと甘みがでて美味しかった。

 

この夜、やっとロンドンの宿をとった。

 

 

サンフィールド1日目

3月4日 月曜

 

朝ごはんにオートミールを食べた。

 

オートミールはオーツ麦をミルクで煮たお粥。

オーツ麦は前の晩から水につけておくことで柔らかくなり粘り気も出る。

シンプルながら、僕はこれがなかなか気に入ってしまった。

ビルははちみつをかけていたが、ジェラディーンは「甘すぎる」とかけない。

 

その後エドが来るまでの間にビルに買い物に連れて行ってもらった。

 

そういえば、ビルは時々ウィリアムと呼ばれていて混乱したが、

調べてみるとWilliamのニックネームがBillなのであった。英語のニックネームはよくわからないね。

 

10:20にエドが来た。ガッチリとした男。

車の後部座席には、犬が2匹乗っていた。モスとホリー。

ホリーはヒイラギのことらしい。モスのお母さんで足腰が弱っている。

2匹とも飼い主に忠実な、利口な犬だった。まるでエドの言葉がわかるよう。

 

ところで、ヨーロッパで見る犬、特に田舎の犬は利口であまり吠えず、良い犬ばかりだ。

飼い主の教育が良いのかもしれないが、

まず第一はストレスが少ないことが理由なのかなと思う。

たいていの場合、日本のように鎖で繋がれていないし、公園や野原で自由にかけまわれる。ロンドンの地下鉄にだって乗れるのだ。

人々の犬への態度も、こわがるでも、ペットとして溺愛するでもなく自然なものであり、見ていて気持ちが良い。

 

とにかく、こんな犬ならいつか欲しいなと思う犬にたくさん会った。

 

さてエドにはまずGlasshouse Collegeという教育施設に連れて行ってもらい、ざっと見学した。ここは知的障害や学習障害のある青少年たちが主にガラス工芸を学ぶ場でラスキンミルの1校である。真ん中に池があり、周りにいくつか工房がある。羊毛の工房などもあった。

 

その後、Vale head ファームを見学する。ここもラスキンミルのバイオダイナミック農場で、ゆるやかな丘の連なりの中に位置していた。砂っぽい土地のため耕作にはあまり適していないらしいが、気持ちの良い土地であった。生徒は数人しか見かけなかった。

 

ここに来る途中、トールキン指輪物語の舞台の着想を得たという岩屋をちらっと見た。僕は子供の頃に原作を読み、その世界観に浸りあこがれた。

映画はニュージーランドで撮られたというが、作者のイマジネーションの根っこはもちろんイギリスの風景であり、伝説なのだろう。

 

その後お目当のサンフィールドに到着した。

エドの農場アシスタントのデーブに会う。

40代の子供がいる女性で英語がわかりにくかった。

口をあまり開かずにしゃべるのだ。

フランスで行っていた学校の校長がイギリス人女性だったのだが、

彼女の英語によく似ていた。

 

日本では、英語の発音に関して、

アメリカはどうの、イギリスはどうのとうるさいが、

イギリスのなかだけでも多様な 話し方があるのだから、そんなに発音を厳密に学習する必要はないと思う。

 

それよりも相手にゆっくり話してくれと頼む勇気、

そして自分の言いたいことをシンプルな文法で明快に伝える能力が重要であると思う。

 

僕自身、相手の言うことを全部聞き取れなくても、

わかったつもりになることがよくあるので気をつけないといけない。

聞き取れなかったら恥ずかしがらずに訊き返そう。

 

昼ごはんは、学校の食堂で食べさせてもらえた。

2択のメインを選び、サラダは自分が食べたい分だけ

色んな種類を選んで乗せてもらえるシステム。

 

僕はパスタ、チャングはスープとパンを頂いた。

 

午後はアシスタントのデーブと行動を共にする。

イギリスのこういう教育施設は規則が厳しいらしく、

ポリスチェックを受けてない部外者やビジターは四六時中、

誰かスタッフと行動を共にしなければならない。

 

 

ここサンフィールドの農場には、たくさんの動物がいる。

ヤギ、羊、ニワトリ、豚 がいた。

 

このなかでも、豚は独特でおもしろい。

ニュージーランドの「クニクニ」という種。

押しつぶされたような顔に上向きの鼻、あごがしゃくれ人間のような前歯が見える。

 

「クニクニ」はマオリ語で「太って丸い」という意味だとエドが教えてくれた。

我々ふたりは「クニクニ」という語感にはまって、それ以後よく使ってしまう。

豚がクニクニなんてぴったしではないか!

 

この豚は草だけで生きていけるらしい。

エドは、言っていた。

「イギリスのここミッドランドのような地方は草原が多くある。穀物を餌とするチキンや魚を食べるなんて本当は不合理で、こんな草食動物を食べるべきなんだよ」

 

 

この午後はあまり働けなかった。

羊のテッドが逃げだしたからだ。

テッドは4匹兄弟の末っ子で、体が小さく弱々しい。

ほかの5匹の羊にいじめられるので隔離され、デーブのペットのようだった。

その彼が逃げたのだ。デーブは取り乱していた。

 

捜索のすえ、学校の脇の道路を歩いているところを運良く発見して捕獲。

その後もエドの犬がいなくなったりして、混乱した状況の初日だった。

 

夕食は、スーパーで買った野菜を炒め、ご飯を炊いた。

明日は8時にエドが迎えに来る。

ロンドン到着

朝6:30にロンドンガトウィック空港へ到着した。ロンドンは雨。

 

ここからNationalExpressバスでVictoria Coach Stationへ

 

、が予約しておいた時間のバスは来なかった。

それでもどうにか30分後の次のバスに乗れた。

列に並んでいた僕たちのチケットを見て、運転手は

「このバスはもう出たから脇によけてくれ」

と言ったがそんなはずはない。予定の15分前から待っていたのだから。

来なかった旨を伝えるとあっさりと乗せてくれた。

 

ここらへんで日本を出たのだという実感が湧いて来た。

日本では予約のバスが来ないことはまず無い。

そして日常生活でなにかクレームをつけたり、主張したり、交渉したり、こういったこともない。

 

それが一旦海外にでると、そこでは普通の生活でも、ガンガンと自分の立場や意見を主張しなければならないのだ。主張力や交渉力がものをいう。

非常に疲れることが多いが、慣れてくると「言いたいことは言える」という快感、

つまり日本で身にまとわりつけてきた

「協調性」、「おとなしいことが良し」、「沈黙は金」

といった殻を一つずつ破るという快感も味わえる。

 

まあとりあえず第一ハプニングではあった。

 

あ、そういえばもう一個すでに起こっていた。

上海空港のエスカレーターで、上からスーツケースが転がり落ちて来たのだ。

そして僕より上に立っていたチャングに当たってしまった。

かわいそうに、だが幸い大事ではなかった。

 

VictoriaCoachStationで慌ててサンドイッチとコーヒーを買い込み、Birmingham行きのバスに乗り込んだ。3時間の乗車でさすがに疲れた。

Birminghamからさらに電車で30分、StourbridgeJunction駅へ。

公共交通機関はここまで。非常に長い行程だった。

 

この駅にAirbnbのホストのビルが来てくれていて、僕らをピックアップして家に連れて行ってくれた。

 

ビルはおだやかなおじいさんで、イングランド南海岸の出身。

片耳が聴こえず、もう片方も遠い。

英語の不自由な僕らとしてはコミュニケーションに難ありだった。

特に女性の声の周波数が聴き取りづらいらしく、チャングは苦労していた。

 

家に着くと、人懐こい黒犬が迎えてくれた。ゾーウィという。

あまり聞き慣れない名前だ。

首に「ZOE」と書かれた札を下げていた。

 

後に帰宅したビルの奥さんのジェラディーンは、ふっくらしたアイルランド女性。

すごいスピードのアイリッシュ英語で話しだすと止まらない。

20〜30分は平気でしゃべる。

そして話終わるといつも、口にチャックのジェスチャー

「また話しすぎたわ」と。

 

僕らは彼らの初めてのAirbnbゲストだったようだ。

驚いたことに、ビルはシュタイナー学校の先生だったそうで、ジェラディーンはオイリュトミーをしているという、シュタイナーに造詣の深い夫婦だった。

僕らの旅の目的をきいて、向こうも驚いていた。つながるときはつながるものだ。

 

二人の娘のレベッカAirbnbで部屋を貸し始めたそうだが、当の本人はこの家にいない。

夏はカイトサーフィンの、冬はカナダでスキーのインストラクターをしていて、実家には一年のうち2〜3ヶ月しかいないという。

カナダの物価が高すぎて、生活費に困って部屋を貸すことにしたのだそうだ。

 

ジェラディーンは、「本当にお金に困るとやっと、自分が何を持っているのかを本気で考えるものよね」と言っていた。

レベッカには実家の部屋があったのだ。

 

 

この家は22時消灯で寝室がある2階のブレーカー自体を切るというしくみ。

安眠のためらしい。旅人の僕らには不便ではあったが、悪くはない。

 

夜にチャングが、明日から訪問するSunfieldのエドに電話してくれ、

彼が明日迎えに来てくれることになった。

 

さてどんな所なんだろう?