農的ジプシー

農的ジプシー生活のあれこれ

サンフィールド 2日目

3月5日 火曜

 

8時にエドが迎えに来た。

 

着いてまず、クニクニ豚の餌やり。

 

オス2頭とおかあさん豚2頭で、子豚たちはつくりもののように可愛い。

可愛いというか、ぬいぐるみのような、異世界の動物の感。

この子たちがクニクニになるなんて信じられない。

 

餌はオーツ麦を水に浸けておいたものを、オスは一頭500g、メスは900gやる。

メスが多いのはもちろん子供達にお乳をあげているからだ。

 

食べているときの豚の姿は貪欲で醜いものである。音も汚い。

なぜ世界中で豚が「意地汚い」の形容に使われるか分かる。

 

まあ醜いなんていうのは社会文化をもった人間の主観であって、

動物が本能に忠実なのは自然な姿だ。

わかってはいるが、でもやっぱり不快感は拭えない。

 

その後、上の牧場の羊にも干し草をやりに行く。

羊は5匹いて、すべて妊娠していて出産間近。

カールした毛がおしゃれで、顔立ちをみると黒人女性を彷彿させる。

 

でもおしりは異常に汚くて、

毛に泥や糞が長い間こびりついたので真っ黒。

のちにこれを我々は刈ることになるのだが、この時は思いもしなかった。

 

午前中のメインの作業はスコップで畑の畝作りだった。

畝間の土を水平に削りとり、畝を盛っていく。

 

これがなかなか骨が折れる。

エドは左手を逆手に柄を持ち、軽くやってみせたが、

なにか軍隊の塹壕掘りを思い起こさせた。

農作業に慣れている僕でも大変なのだから、シティーガールのチャングはなおさらである。

 

ティーブレイクをはさみ、昼食まで続けた。

昼食はピザとクスクス。忙しいエドと常に一緒にいなければならないので、

休憩時間は長くはとれない。

 

午後はリチャードという人物にサンフィールドを案内してもらった。

ゆったりと我々の話に耳を傾けてくれるが、どこか曲者の感がある。

 

見せてもらった図書館には、シュタイナー関連の本や写真がずらり。

サンフィールドは昔はなかなかコアなシュタイナー運動の場だったようだ。

 

 

午後の最後はデーブと一緒にコンポストの処理。

学校の食堂から出る生ゴミを機械で堆肥にする。

 

横向きのドラム缶のような機械に左上の穴から生ゴミをいれて、

ハンドルをぐるぐる回す。

 

すると右下から前に入れたゴミが発酵した堆肥となってでてくる仕組み。

 

酸っぱい臭いがあたりに充満し、鼻腔にこびりつく。

 

出て来た堆肥を次のボックスにいれてさらに発酵させる。

 このボックスの堆肥はもう分解されてしまっていて臭くない。

 

家に帰っても服から臭いがしみ出てくるような気がした。

でも食べ物ゴミが出ず、次の食べ物をつくるための糧となるのは気持ち良い。

 

明日から数日の休みに入るデーブに別れを告げ、帰宅した。

 

夕食は野菜を刻んだスープとパン。

スープには昨日煮ておいた芋をいれたので、とろみと甘みがでて美味しかった。

 

この夜、やっとロンドンの宿をとった。

 

 

サンフィールド1日目

3月4日 月曜

 

朝ごはんにオートミールを食べた。

 

オートミールはオーツ麦をミルクで煮たお粥。

オーツ麦は前の晩から水につけておくことで柔らかくなり粘り気も出る。

シンプルながら、僕はこれがなかなか気に入ってしまった。

ビルははちみつをかけていたが、ジェラディーンは「甘すぎる」とかけない。

 

その後エドが来るまでの間にビルに買い物に連れて行ってもらった。

 

そういえば、ビルは時々ウィリアムと呼ばれていて混乱したが、

調べてみるとWilliamのニックネームがBillなのであった。英語のニックネームはよくわからないね。

 

10:20にエドが来た。ガッチリとした男。

車の後部座席には、犬が2匹乗っていた。モスとホリー。

ホリーはヒイラギのことらしい。モスのお母さんで足腰が弱っている。

2匹とも飼い主に忠実な、利口な犬だった。まるでエドの言葉がわかるよう。

 

ところで、ヨーロッパで見る犬、特に田舎の犬は利口であまり吠えず、良い犬ばかりだ。

飼い主の教育が良いのかもしれないが、

まず第一はストレスが少ないことが理由なのかなと思う。

たいていの場合、日本のように鎖で繋がれていないし、公園や野原で自由にかけまわれる。ロンドンの地下鉄にだって乗れるのだ。

人々の犬への態度も、こわがるでも、ペットとして溺愛するでもなく自然なものであり、見ていて気持ちが良い。

 

とにかく、こんな犬ならいつか欲しいなと思う犬にたくさん会った。

 

さてエドにはまずGlasshouse Collegeという教育施設に連れて行ってもらい、ざっと見学した。ここは知的障害や学習障害のある青少年たちが主にガラス工芸を学ぶ場でラスキンミルの1校である。真ん中に池があり、周りにいくつか工房がある。羊毛の工房などもあった。

 

その後、Vale head ファームを見学する。ここもラスキンミルのバイオダイナミック農場で、ゆるやかな丘の連なりの中に位置していた。砂っぽい土地のため耕作にはあまり適していないらしいが、気持ちの良い土地であった。生徒は数人しか見かけなかった。

 

ここに来る途中、トールキン指輪物語の舞台の着想を得たという岩屋をちらっと見た。僕は子供の頃に原作を読み、その世界観に浸りあこがれた。

映画はニュージーランドで撮られたというが、作者のイマジネーションの根っこはもちろんイギリスの風景であり、伝説なのだろう。

 

その後お目当のサンフィールドに到着した。

エドの農場アシスタントのデーブに会う。

40代の子供がいる女性で英語がわかりにくかった。

口をあまり開かずにしゃべるのだ。

フランスで行っていた学校の校長がイギリス人女性だったのだが、

彼女の英語によく似ていた。

 

日本では、英語の発音に関して、

アメリカはどうの、イギリスはどうのとうるさいが、

イギリスのなかだけでも多様な 話し方があるのだから、そんなに発音を厳密に学習する必要はないと思う。

 

それよりも相手にゆっくり話してくれと頼む勇気、

そして自分の言いたいことをシンプルな文法で明快に伝える能力が重要であると思う。

 

僕自身、相手の言うことを全部聞き取れなくても、

わかったつもりになることがよくあるので気をつけないといけない。

聞き取れなかったら恥ずかしがらずに訊き返そう。

 

昼ごはんは、学校の食堂で食べさせてもらえた。

2択のメインを選び、サラダは自分が食べたい分だけ

色んな種類を選んで乗せてもらえるシステム。

 

僕はパスタ、チャングはスープとパンを頂いた。

 

午後はアシスタントのデーブと行動を共にする。

イギリスのこういう教育施設は規則が厳しいらしく、

ポリスチェックを受けてない部外者やビジターは四六時中、

誰かスタッフと行動を共にしなければならない。

 

 

ここサンフィールドの農場には、たくさんの動物がいる。

ヤギ、羊、ニワトリ、豚 がいた。

 

このなかでも、豚は独特でおもしろい。

ニュージーランドの「クニクニ」という種。

押しつぶされたような顔に上向きの鼻、あごがしゃくれ人間のような前歯が見える。

 

「クニクニ」はマオリ語で「太って丸い」という意味だとエドが教えてくれた。

我々ふたりは「クニクニ」という語感にはまって、それ以後よく使ってしまう。

豚がクニクニなんてぴったしではないか!

 

この豚は草だけで生きていけるらしい。

エドは、言っていた。

「イギリスのここミッドランドのような地方は草原が多くある。穀物を餌とするチキンや魚を食べるなんて本当は不合理で、こんな草食動物を食べるべきなんだよ」

 

 

この午後はあまり働けなかった。

羊のテッドが逃げだしたからだ。

テッドは4匹兄弟の末っ子で、体が小さく弱々しい。

ほかの5匹の羊にいじめられるので隔離され、デーブのペットのようだった。

その彼が逃げたのだ。デーブは取り乱していた。

 

捜索のすえ、学校の脇の道路を歩いているところを運良く発見して捕獲。

その後もエドの犬がいなくなったりして、混乱した状況の初日だった。

 

夕食は、スーパーで買った野菜を炒め、ご飯を炊いた。

明日は8時にエドが迎えに来る。

ロンドン到着

朝6:30にロンドンガトウィック空港へ到着した。ロンドンは雨。

 

ここからNationalExpressバスでVictoria Coach Stationへ

 

、が予約しておいた時間のバスは来なかった。

それでもどうにか30分後の次のバスに乗れた。

列に並んでいた僕たちのチケットを見て、運転手は

「このバスはもう出たから脇によけてくれ」

と言ったがそんなはずはない。予定の15分前から待っていたのだから。

来なかった旨を伝えるとあっさりと乗せてくれた。

 

ここらへんで日本を出たのだという実感が湧いて来た。

日本では予約のバスが来ないことはまず無い。

そして日常生活でなにかクレームをつけたり、主張したり、交渉したり、こういったこともない。

 

それが一旦海外にでると、そこでは普通の生活でも、ガンガンと自分の立場や意見を主張しなければならないのだ。主張力や交渉力がものをいう。

非常に疲れることが多いが、慣れてくると「言いたいことは言える」という快感、

つまり日本で身にまとわりつけてきた

「協調性」、「おとなしいことが良し」、「沈黙は金」

といった殻を一つずつ破るという快感も味わえる。

 

まあとりあえず第一ハプニングではあった。

 

あ、そういえばもう一個すでに起こっていた。

上海空港のエスカレーターで、上からスーツケースが転がり落ちて来たのだ。

そして僕より上に立っていたチャングに当たってしまった。

かわいそうに、だが幸い大事ではなかった。

 

VictoriaCoachStationで慌ててサンドイッチとコーヒーを買い込み、Birmingham行きのバスに乗り込んだ。3時間の乗車でさすがに疲れた。

Birminghamからさらに電車で30分、StourbridgeJunction駅へ。

公共交通機関はここまで。非常に長い行程だった。

 

この駅にAirbnbのホストのビルが来てくれていて、僕らをピックアップして家に連れて行ってくれた。

 

ビルはおだやかなおじいさんで、イングランド南海岸の出身。

片耳が聴こえず、もう片方も遠い。

英語の不自由な僕らとしてはコミュニケーションに難ありだった。

特に女性の声の周波数が聴き取りづらいらしく、チャングは苦労していた。

 

家に着くと、人懐こい黒犬が迎えてくれた。ゾーウィという。

あまり聞き慣れない名前だ。

首に「ZOE」と書かれた札を下げていた。

 

後に帰宅したビルの奥さんのジェラディーンは、ふっくらしたアイルランド女性。

すごいスピードのアイリッシュ英語で話しだすと止まらない。

20〜30分は平気でしゃべる。

そして話終わるといつも、口にチャックのジェスチャー

「また話しすぎたわ」と。

 

僕らは彼らの初めてのAirbnbゲストだったようだ。

驚いたことに、ビルはシュタイナー学校の先生だったそうで、ジェラディーンはオイリュトミーをしているという、シュタイナーに造詣の深い夫婦だった。

僕らの旅の目的をきいて、向こうも驚いていた。つながるときはつながるものだ。

 

二人の娘のレベッカAirbnbで部屋を貸し始めたそうだが、当の本人はこの家にいない。

夏はカイトサーフィンの、冬はカナダでスキーのインストラクターをしていて、実家には一年のうち2〜3ヶ月しかいないという。

カナダの物価が高すぎて、生活費に困って部屋を貸すことにしたのだそうだ。

 

ジェラディーンは、「本当にお金に困るとやっと、自分が何を持っているのかを本気で考えるものよね」と言っていた。

レベッカには実家の部屋があったのだ。

 

 

この家は22時消灯で寝室がある2階のブレーカー自体を切るというしくみ。

安眠のためらしい。旅人の僕らには不便ではあったが、悪くはない。

 

夜にチャングが、明日から訪問するSunfieldのエドに電話してくれ、

彼が明日迎えに来てくれることになった。

 

さてどんな所なんだろう?

 

 

 

 

イギリスへ 〜上海トランジット〜

3/2土

14:30 福岡空港-1h45-上海浦東空港

10時間のトランジット

 

 

上海には来たことがなかった。

 

学生時代に中国の内陸を2ヶ月旅したことがある。

それは初めての長旅でディープな旅だった。

ユースホステルなどの安宿に泊まり、バスや列車で東南アジアを目指した。

 

ほぼ中国人にしか会わず、彼らと筆談で言葉を交わした。

日本では反日などのイメージがあるが、人口13億のこの国の懐は深い。

誰一人から日本人だといって罵倒されることも無かった。

もっとも中国語をあまり知らないから、気づかなかったこともあるだろう。

後で僕の筆談ノートを見た中国人の友人は、

「この人、あんまり良くない人ね」など所々指差して苦笑していた。

 

寒い朝の饅頭と豆乳。何時間もの硬座。

公園の太極拳寝台列車カップ面。

中国を好きになった。だがそれ以来訪れることはなかった。

 

上海でのトランジットが決まったとき、入国してみたいと思った。

同じ値段で複数のトランジット時間が選べたので、

そこで長めの10時間にした。

 

1時間45分という短フライトでも機内食が出た。

死んだ味の食べ物たちだが、それでも機内食にはいつもテンションがあがってしまう。

 

そうこうするうちに上海に到着して、無事入国。

空港バスで市内に出ることにした。ネット情報では空港から上海駅まで8元だったが、実際は24元くらいした。

中国語は中国を旅している間に学んだり、その後に大学で入門講座を聴講したりして少しだけなら分かるのだが、それが役に立った。

車掌のおばさんに訊かれた時に行先を「火車站」と言えたからだ。列車駅の意味である。

 

バスからの上海の眺めは良かった。最初は高速道路なのだが、そこから見える街並みはよく緑化されていた。

中国は一旦何かをやるとなったら、金をかけて大規模にできるのがすごいところだが、この緑化事業も大規模なものであったようだ。

ただもしかすると高速からみえる沿道のみかもしれない。そうであったらそれはそれで中国らしいといえる。

 

上海駅の近くでトマト味の新疆面と水餃子を食べて、帰りは地下鉄で空港に戻った。

久々の中国の雰囲気に浸れて満足した。

彼女のチャングも束の間のバス旅が楽しかったようだ。

もっとも彼女はこの旅の出発の数日前に食べた牡蠣にあたっていたため、スパイシーなものや癖のあるものがほとんど食べられないというハンディを負っていたのだが。

 

さてここからロンドンへ、12時間ほどのフライト。

 

 

 

イギリスへ行くことにした

イギリスに行くことにした。彼女とふたり。

 

目的はRuskinMillという学校組織。

ここは、発達障害や家庭に問題のある青少年のための教育施設で、

ジョン・ラスキン、ウイリアム・モリス、ルドルフ・シュタイナーの哲学を教育方針に取り入れており、生徒は手工芸や農園作業を通じて教育を受ける。

 

僕らはBio Dynamics 農法というシュタイナーが提唱した農法に興味を持っていて、

半年くらい前からここのSunfieldという学校とコンタクトをとっていたのだがいっこうに話が進まない。

というのもこのラスキンミルの農園はバイオダイナミック農園で、

二年間の研修コースがあるのだ。

農作業を手伝う代わりに、研修が受けられ、寝床と食事も与えられる。

 

だがイギリスのビザが思いのほか厳しく、手続きの目処がたたない。

先方とも1回スカイプで話をしたのみだったので、熱意をもって手続きを進めてくれる訳もない。そこでそこの人と直接会って話をし、そこの環境も肌で感じて来ようと決めたのだ。

 

せっかくヨーロッパに行くので、イギリスだけというのも勿体無い。

そこでイタリアで2週間ほどWWOOFもすることにした。

 

それでは、なぜイタリアか?

それは今働いているのが、レストランも持つイタリアン農園で

イタリアの多様な野菜がおもしろく感じてきたからだ。

せっかくなら本場で見てきたいから。

 

3/2 14:30発 上海経由ロンドン行き

帰りは4/25。

イタリアのあとも何カ国か周るかもしれないので

利便性の良いハブ空港フランクフルト発にした。

水が止まった

チャングは今日は家でお仕事

そう、私デザイナーです

昔は会社の中でインハウスデザイナーとして働いていたけど

気がつけば農的ジプシーになってて、畑にでたりなんかして、デザインとは一見遠いことをしてるようにみえる

だけど、もっと生活を作るとか、仕事のあり方を模索するとか、なんか全くうまく言えないけど、広い意味でデザイナーとして生きていきたいし、可能性は広いと思うのです

 

そんなデザイナー論は置いといて、

仕事の途中ちょっとコップをすすごうと水道の蛇口をひねったら、うんともすんとも手応えがない

モデルハウスの蛇口のサンプル回してるのかと思うほど

あ、水止まったな、工事かなんかかなと、ということでとりあえず放置

私は携帯を日本に帰ってきてから契約してないので、電話番号を持っておらず、シェアハウスの管理人さんとは連絡とれないのです

だから確信がなくとも工事かなと想像することでとりあえず解決

あら、でも部屋の水、井戸水だよな、井戸水の工事ってなんだ?っていう疑問だけ残る

そう、シェアハウスワイキキの部屋の水は井戸水です

とりあえず仕事に戻ると、彼が農作業から帰宅

管理人さんから水道工事等の連絡があったかと聞くと、ないとのこと

あれれと思いベランダにでると、ベテランの住人さんがタバコをふかしていたので、声出して聞いてみる

「明治さ〜ん、明治さんの部屋、水出ます?」

すると、明治さん、「あぁそりゃ井戸水枯れちゃったな」

井戸水が枯れる、うん、頭では言葉の意味はわかるけど、元シティガールとしては、ビジュアルも想像できない遠いこと

明治さん、2月にも関わらず、素足にビーサンでワイキキの下へと階段を降りていく

私も慌てて部屋から外に降りて出て、明治さんが行った先を追いかける

追いかけた先、シェアハウスワイキキの地下、恐るべし奥行き

広いトイレやシャワー室が並ぶ中、一番奥のボイラー室のような部屋に明治さん発見

全身濡れたウェットスーツにサングラスのご老人もいる

こんにちはと挨拶するも無視

このご老人がどうもここのオーナーらしい

彼はひたすらボイラー室的部屋で同じ説明を明治さんに繰り返していたけど、私は全く彼の言葉が理解ができなかった

つまり、機械が壊れたとかではなく井戸水が枯れたからどうしようもない、節水してくれ、とのこと

 

フランスにいたときもたまに水が止まることがあったので、慣れたもんだよというスタンスで部屋に戻る

とりあえず、彼と夕食を済ませる

共同キッチンが1Fにあり、そこは井戸水ではなく水道を引いてあるので、料理に差し支えはなかった

飲料用の水も買ってあるし、余裕でしょと思う

夕食、取り分けの際に少しこぼれた汁を台ふきで拭く

あ、台ふき洗えない、ただでさえ臭いのに悪化しちゃう

食後、もちろんお皿が洗えない

1Fのキッチンまで行けばいいのだけど、面倒くさいのでとりあえず放置、あぁこびりついちゃう

あぁトイレしたい

用をたすだけなら水使わないけど、流さないと臭くなっちゃうしね

けど、我慢できず彼に了承を得て用をたす

もちろん小さい方

なんとかタンクに元々溜まってた水で流れた

安心したのもつかの間、あぁ手、洗えないじゃん

 

こうやって見ると、意外とちょこまかお水は使ってたんだなぁと改めて実感

そして、節水という概念

今までだと、水を使いすぎる=水道代が高くつく 節水=節約 なんて図式しか頭になかった

自分がジャージャーと水を使うことで、井戸が枯れちゃうなんて

こんなに目に見えて水がなくなることを体験して、改めて「節水」を考える夜となりました

 

いつもはお風呂入るの面倒くて、うだうだして、あっという間に時間が過ぎるけど、

強制的に入れないとなると、時間がぽっかりとできるもので

そんな空いた時間に、絶え間ない波音を聞きながら、資源としての水ということを考える夜でした

まだまだワイキキのお水は止まってます

 

 

 

寝袋の横で思うこと

気づいたら農的ジプシー生活を送っていた

 

元々東京でシティガールしてたのに、気づけば三十路もこえて海の目の前の5.5畳ほどの部屋で彼との二人暮し

夜は布団を二組敷けばほぼ床は埋まる、これはこれで修学旅行みたいで楽しい

私達の住むシェアハウスワイキキの建物は古い

部屋の海側にある唯一の窓付き扉はしっかりと閉まらないので、今年は暖冬といえど、2月の夜の寒風が入ってくる

車一つに荷物を積んで引越してきたので、そう、布団が足りない

彼の分厚いモーフを横取りしたせいで、彼は薄い掛け布団の下、寝袋で寝ている

思い返せばここ2年ほど屋外のような屋内で暮らしてる

どういうことよ

 

就寝前、夜10時前後(農的ジプシーは寝るのが早い)は読書タイム

寝袋の彼はヘッドライトを頭につけフランス語の本を読んでいる

フランス語の本くせに、内容は村上春樹

つっこみたくなるが、日本語の本を外国語に翻訳した本のほうが日本人には読みやすいみたい

私は1年フランスに住んだのに、未だに数字すら満足に言えない

隣の寝袋の彼は、フランス語の本を読む前はパソコンでイタリア語のお勉強

なんともご苦労さまなこって

 

言い訳だけど、語学の壁って30歳超えると本当掴みどころのないツルツルの壁になって、なかなか乗り越えられないのよね

って誰かと分かり合いたいものです

昔は勉強できたのよって一言もいつも付け加えちゃう

ありゃま情けない

 

そんな歳下のアウトドアな博士的彼といると、空いた時間にドラマの見逃し配信ばかり見てる自分の生活に焦りを感じますが

ヘッドライトつけて、満足げに本読む彼の横顔を見ると微笑ましくもあるのよね

 

私はゆっくり進んで行こうと思います

たまに記事を書きながら

 

オーガニックなスローライフしてるくせに

ケンタッキーとGYAOが好きな

チャングでした